大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(ワ)17103号 判決 1995年6月26日

原告

ビンセント・スクリマ

右訴訟代理人弁護士

戸舘正憲

坪井節子

被告

株式会社日本クリエイション

右代表者代表取締役

湊延江

被告

湊弘平

右両名訴訟代理人弁護士

中小路大

被告

株式会社東京放送

右代表者代表取締役

磯崎洋三

右訴訟代理人弁護士

大澤英雄

石川常昌

被告

ビクターエンタテインメント株式会社

右代表者代表取締役

富塚勇

被告

ビクター音楽出版株式会社

右代表者代表取締役

大久保一清

右両名訴訟代理人弁護士

三木祥男

被告

財団法人日本青年館

右代表者理事

小尾乕雄

被告

株式会社ニッセイ

右代表者代表取締役

難波田邦夫

右両名訴訟代理人弁護士

西村泰夫

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、各自、原告に対し、金四二七七万六七六八円及びこれに対する昭和六三年一一月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告株式会社日本クリエイション、被告湊弘平、被告ビクターエンタテインメント株式会社、被告ビクター音楽出版株式会社は、各自、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成四年一〇月一〇日から(ただし、被告ビクター音楽出版株式会社にあっては同月一五日から)支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、米国のベースギター演奏家である原告が、昭和六三年一一月二〇日日本青年館大ホールで行われたロック歌手のコンサートにバックバンドの一員として出演した際に同ホール舞台中央部のセリ穴から奈落に転落して負傷した事故(以下「本件事故」という。)に関して次の各号に掲げる損害賠償を当該各号に掲げる被告らに対し当該各号に掲げる責任を理由として請求した事案である。

1  本件事故による負傷についての損害賠償

被告株式会社日本クリエイション、被告湊弘平、被告ビクターエンタテインメント株式会社、被告ビクター音楽出版株式会社及び被告株式会社東京放送に対しては、原告との出演契約に基づく安全配慮義務違反による債務不履行責任又は本件のコンサートの舞台監督をした千葉隆寿郎の不法行為についての同人を被用者とする使用者責任

被告財団法人日本青年館及び被告株式会社ニッセイに対しては、本件のセリを操作した勝沢一美の不法行為についての同人を被用者とする使用者責任又は日本青年館大ホールの舞台設置の瑕疵に係る工作物責任

2  本件事故後に、被告湊弘平及びカール・ワカモトが原告に対し被告日本クリエイション及び被告湊に対する損害賠償請求権を放棄するよう脅迫したことによる原告の精神的苦痛についての損害賠償

被告湊弘平に対しては不法行為責任、被告株式会社日本クリエイションに対しては被告湊弘平を被用者とする使用者責任、被告ビクターエンタテインメント株式会社及び被告ビクター音楽出版株式会社に対してはカール・ワカモトを被用者とする使用者責任

二  争いのない事実等

1  原告はアメリカ合衆国籍のポピュラー音楽家であり、作曲、指揮、ベースギター演奏活動等を行っていた。

2  被告株式会社日本クリエイション(以下「被告クリエイション」という。)及び被告湊弘平(以下「被告湊」という。)は、キャラクター商品の著作権管理、ラジオ、テレビ番組、映画、レコード等の企画、制作を業としているもので、被告湊の娘である湊広子(タレント名「HIROKO」、以下「ヒロコ」という。)をロック歌手として売り出すために、コンサート、レコード、CD、テレビ番組等の企画、制作、宣伝活動を展開していた。

3  被告株式会社東京放送(以下「被告TBS」という。)は、放送法による一般放送事業、放送番組の企画・制作・販売、劇場用映画の企画・制作・販売、音楽・美術・演劇・芸能・科学・スポーツ等各種催物の企画・制作・販売及び興業を業とする会社である。

4  被告ビクターエンタテインメント株式会社は、音楽レコード、CD、ビデオ等の企画制作、販売を業とする会社であり、被告ビクター音楽出版株式会社は、著作物の著作権及び著作隣接権の保有管理を目的とする会社である。以下、この両会社を併せて「被告ビクター両社」という。

5  被告財団法人日本青年館(以下「被告青年館」という。)は、多目的ホール日本青年館を維持管理すること等を目的とする団体であり、被告株式会社ニッセイ(以下「被告ニッセイ」という。)は、被告青年館から日本青年館大ホール及びこれに付随する諸設備を賃借りして、これを経営しているものである。

6  本件コンサートの企画

(一) 被告クリエイションの代表取締役は、湊延江であったが、湊延江は、プロデュース関係の仕事については全くの素人であり、実際の業務は湊延江の夫である被告湊が行っていた。

(二) 昭和六三年一〇月ころ、被告クリエイションは、株式会社ビーエムシー(以下「ビーエムシー」という。)の代表者の勧めでヒロコのデビューコンサート(以下「本件コンサート」という。)の開催を検討し始め、ビーエムシーと打ち合わせた上、本件コンサートの制作、企画、運営等をビーエムシーに委ねてビーエムシーの制作演出の下に本件コンサートを開催することにした。そして、ビーエムシーの従業員の千葉隆寿郎(以下「千葉」という。)が本件コンサートの舞台監督となった。(乙五、戊六、被告クリエイション代表者本人、証人千葉)

(三) 本件コンサートの会場については、ビーエムシーがかねてから被告TBSの関係者とつてがあり、その関係を通じて、被告TBSが被告ニッセイから借りることができる日本青年館大ホールを被告クリエイションが同月末ころ被告TBSの承諾を得て利用することができることになり、また、それとともに被告クリエイションは、観客向けに本件コンサートの主催者として被告TBSを表示することの許諾を被告TBSから得た。(被告クリエイション代表者本人)

(四) 同年夏ころ、被告湊は、ヒロコの米国におけるレコード製作の音楽コーチだったクリス・ベネットにヒロコの日本でのプロモーション活動のためのバックバンドのメンバーを集めるよう依頼し、クリス・ベネットは、自分自身のほか原告、トム・サビアーノ、エリック・ドニー、グレック・チャップマン、ピーター・マックレイの五人の米国人の演奏家をバックバンドのメンバーとして集めた。原告は、ベースギターの演奏を担当することになっていた。右の原告らバックバンドのメンバー六名は、同年一一月三日に来日した。(原告、被告クリエイション代表者本人)

7  本件事故の発生

(一) 昭和六三年一一月二〇日、日本青年館大ホールで本件コンサートが行われた。本件コンサートのオープニングでは、ヒロコが同ホール舞台中央部分付近の小セリ(以下「本件セリ」という。)から上がって舞台中央に登場することにより最初の劇的な盛上がりシーンが演出されることになっていた。

(二) 本件コンサートの行われた日本青年館大ホールの舞台は、間口一八メートル、奥行一五メートルであり、本件セリは、舞台中央部にあって、幅2.7メートル、奥行1.8メートルの長方形であり、舞台床面から奈落の床面までの深さ4.9メートルであった。本件セリは、電動装置(操作盤)で下降上昇停止の操作が行われるが、舞台床面から奈落へ下降するまでの所要時間は二八秒で、本件セリが奈落に達すると同時に舞台床面で自動的に安全ネットの伸張が開始する仕組になっており、安全ネットの伸張が作動し始めてそれが完了する(すなわち安全ネットが開いたセリ穴全面を覆う)までの所要時間は一二秒である。

原告らバックバンドのメンバーの舞台上の演奏位置は、本件セリの後方で客席から舞台に向かって左右両側にあり、原告のその位置は客席から舞台に向かって本件セリの右後方にあった。原告らバックバンドのメンバーは、開演前に舞台の客席から向かって左端の左袖部分に待機、開演直前にそれぞれの演奏位置につくためその待機場所から舞台上をあるいは左から右へ横切りあるいは左前方から左後方へ移動することになっていた。本件セリの操作盤は、舞台の左袖付近に設置されており、本件コンサート当時、本件セリの操作を担当していたのは勝沢一美(以下「勝沢」という。)であった。(戊二の1ないし6、三、四の1、2、五、証人勝沢)

(三) 原告は、本件コンサートのオープニングの際に舞台を横切ろうとし、下降していた本件セリの穴から奈落に転落して、右足大腿骨・脛骨開放性骨折の傷害を負った。

8  原告の治療経過

(一) 原告は、本件事故後に春山外科病院に搬送されて入院し、第一回目は脛骨の骨折部分をボルトとプレーとで固定する手術を受け、第二回目には大腿部骨折箇所に四本のピンを挿入固定する切開手術を受けた。以後、ギプスで固定して安静加療を受けた後、平成元年一月中旬以降、補助装具(アパラート)を着用して松葉杖歩行する訓練を開始しつつ、同年四月二日まで入院加療を継続した。(甲二二の1ないし5、原告本人)

(二) 原告は、米国へ帰国後、同年四月一〇日より、平成三年一一月一日まで、マサチューセッツ総合病院に通院して治療を受けた。この間、平成二年五月一七日、脛骨のプレートとボルトを除去する手術を受けた。大腿骨のピンは残置されている。原告の右膝には、左右屈折及び右足首の前後上下屈折の際の著しい後遺障害が残っている。(甲二三の1ないし3、原告本人)

三  本案前の争点及びそれに対する当事者の主張

不起訴合意の有無

(一)  被告クリエイション及び被告湊の主張

平成元年二月二日、原告は、被告クリエイション及び被告湊との間で、本件事故に関し一切の法的手続を取らないという不起訴の合意をした。

(二)  原告の主張

原告と被告クリエイション及び被告湊の間の不起訴の合意は、右被告らが原告に治療費を含む全損害の十分な補償をすること、原告の代わりに病院の治療費等の諸費用を直ちに支払うことを条件とするものであり、被告らは右の補償及び支払を果たさず右の条件が成就していないから右合意はその効力を生じない。

四  本案の主要な争点及びそれに対する当事者の主張

1  被告クリエイション、被告湊、被告ビクター両社及び被告TBSの原告に対する安全配慮義務違反の成否

(一) 原告の主張

(1) 原告は、被告クリエイションの実質的経営者である被告湊との間でヒロコのプロモーション活動を目的とした演奏者としての出演契約を結んだ。

(2) 本件コンサートは、被告クリエイション、被告湊、被告ビクター両社及び被告TBSが共同で企画したものであり、この共同企画のもとに、被告クリエイション及び被告湊が、右被告四名の意思決定に従い、右被告四名の代表ないし履行補助者として原告と出演契約を締結し、被告ビクター両社がCD・ビデオ収録・販売のためのコンサートの基本構成等を担当し、被告TBSにおいて会場である日本青年館大ホールの使用契約を被告青年館と締結したものであるから、被告らは、共同して、原告との出演契約上の義務を負うというべきである。

(3) 本件コンサートにおいては、舞台において本件セリを使用し、照明のない状態で原告ら演奏者が舞台中央を左側から右側に横断する演出になっており、本件セリの操作の誤りは原告ら演奏者を奈落に転落させ、その生命・身体に危害を与えることになることが当然予測できるのであるから、被告らは、履行補助者である千葉をして、原告ら演奏者の生命・身体の安全を確保するためセリの操作を担当する勝沢と打ち合せや調整を行わせるとともに原告ら演奏者に対する綿密な連絡・指示をさせて事故の発生を防止すべき義務があった。更に、舞台に照明がない状況でのステージ移動であるから、千葉をして、特に係員を配置して原告ら演奏者に注意を喚起し、舞台上の演奏位置まで案内する等の措置をとらせるべきであった。

これは、原告との出演契約に付随する信義則上の義務として、当然に契約の内容になっているものである。

(4) しかるに、千葉は、原告ら演奏者に対してセリ使用について詳しい説明をせず、また、係員を配置して原告ら演奏者に注意を喚起するなどせず前記の措置を怠ったため、原告は舞台を横切った際本件セリが下降していることに気付かずにそのセリ穴に転落して本件事故が発生したものであるから、右被告らは、原告との出演契約に付随する安全配慮義務の不履行により、本件事故による原告の損害を賠償する義務がある。

(二) 被告クリエイション及び被告湊の主張

(1) 被告クリエイションは、本件コンサートを企画・主催したが、被告湊は、そのプロデューサーとして原告との出演契約の締結に関与したにすぎないから、原告に対して安全配慮義務は負わない。

(2) 被告クリエイションに原告との出演契約に基づく安全配慮義務が存在していたとしても、被告クリエイションは、原告を含むすべての出演者に対して十分な説明を行った上で本件コンサートに臨んでおり、被告クリエイションに安全配慮義務違反はない。本件事故は、原告が本件コンサートの本番で出演者が所定の位置につき正に演奏を始めようとしたときになって所定の位置を離れてコーラを取りにいき、これを飲みながら舞台上を小走りに元の位置に戻ろうとして、そのときにセリ穴から奈落に転落したために生じたものである。

(3) また、被告クリエイションは、本件コンサートの具体的な構成、進行、警備などを舞台制作、演出、企画などを業とするビーエムシーに請負わせ、ビーエムシーは独立的な請負人として本件コンサートの制作に当たったのであるから、千葉は、ビーエムシーのその履行補助者であって、被告クリエイションの履行補助者とはいえない。

(三) 被告ビクター両社の主張

被告ビクター両社は、本件コンサートを企画していないから、原告に対する安全配慮義務はない。また、千葉は、被告ビクター両社のいずれの履行補助者でもない。

(四) 被告TBSの主張

本件出演契約は、原告と被告クリエイションないし被告湊との間で締結されたものであり、被告TBSは、ビーエムシーに依頼されて本件コンサートの主催者として名義を使用することを許諾したにすぎないから、被告TBSには原告に対する安全配慮義務はない。

2  被告クリエイション、被告湊、被告ビクター両社及び被告TBSの原告に対する使用者責任の成否

(一) 原告の主張

(1) 本件コンサートにおいては、本件セリを使用する舞台構成になっており、その操作の誤りは、原告ら演奏者を奈落に転落させ、生命・身体に危害を与えることになることが当然予測できるのであるから、舞台監督である千葉としては、原告ら演奏者の生命・身体の安全を確保するため、本件セリの操作を担当する勝沢と打ち合せや調整を行うとともに原告ら演奏者に対する綿密な連絡・指示をして事故の発生を防止すべき義務があるというべきである。更に、舞台に照明がない状況でのステージ移動であるから、特に係員を配置して原告ら演奏者に注意を喚起し、舞台上の演奏位置まで案内する等の措置をとるべきであった。

しかるに、千葉は、セリ操作の係員との連絡や原告ら演奏者への的確な連絡・指示を怠り、その過失により本件事故を発生させた。

(2) 被告らは、本件コンサートを共同企画し利益を受けたのだから、千葉の使用者というべきである。したがって、被告らは、民法七一五条の不法行為責任を負う。

(二) 被告クリエイション及び被告湊の主張

(1) 被告湊は、被告クリエイションの企画に対しプロデューサーとして関与したにすぎないから、被告湊は、千葉の使用者ではない。

(2) 被告クリエイションは、本件コンサートをビーエムシーに請け負わせ、ビーエムシーの従業員の千葉が本件コンサートの舞台監督となったのだから、被告クリエイションは、注文者である。したがって、仮に千葉に本件事故についての過失が認められるとしても、被告クリエイションは、使用者責任を負わない。

(三) 被告ビクター両社の主張

被告ビクター両社は、本件コンサートの企画に関与しておらず、千葉の使用者ではない。

(四) 被告TBSの主張

本件出演契約は、原告と被告クリエイションないし被告湊との間で締結されたものであり、被告TBSは、ビーエムシーに依頼されて本件コンサートの主催老として名義を使用することを許諾したにすぎない。また、本件コンサートによって何らの利益も受けていない。

したがって、被告TBSは、千葉の使用者ではない。

3  原告の被告青年館及び被告ニッセイに対する使用者責任の成否

(一) 原告の主張

(1) 本件セリの使用は、舞台床面に4.9メートルの落差のある欠落を生じさせるもので、その使用によって直接出演者の生命身体に重要な危害を及ぼすおそれのある危険性の高い設備であるところ、本件セリを使用する一般の利用者は、安全確保のための十分な能力を備えていないことが往々にしてあり、安全確保の面では右被告らが、使用方法及び使用者との関係に十二分に配慮して積極的な役割を果たすことが要請されているというべきである。

したがって、勝沢としては、リハーサルにおいて出演者にセリ下降の時期について了知させ、遅くとも出演者が舞台に登場するまでにセリ下降の時期について舞台監督等関係者らの認識に齟齬がないかどうか及び出演者に現実に伝わっているかどうかを確認すべきであったし、セリ下降に際しては舞台上の出演者の動静を注視し出演者らに危険がないことを確認すべきであった。

(2) しかるに、本件コンサートでは、勝沢は、千葉との間でセリ下降の時期についての認識が一致しているかどうかを確認する行動をとらず、かつ、原告ら出演者に対しセリ下降の時期を了知させることもせず、さらに、舞台袖越しに舞台を見たりモニターテレビで舞台上の出演者の動静を見たりすることもなくセリを下降させたのである。

(3) 勝沢は、株式会社パシフィックアートセンターの被用者であるが、同社から日本青年館に派遣され、その職務の内容は、一〇〇パーセント日本青年館大ホールのセリ等の操作であり、日本青年館に出勤しそこから帰宅するという勤務形態をとっており、被告ニッセイの支配管理下において被告ニッセイの指示する業務に従事していたものであるから、被告ニッセイの被用者とみなされるべきである。

(4) また、被告青年館は、本件コンサートの会場である日本青年館大ホールを所有する財団法人であり、その維持・管理・運営は、子会社である被告ニッセイに委ねられており、被告ニッセイの業務は、もっぱら右のように委ねられたものに尽きるから、右両被告は、実質的に一体不可分のものであり、勝沢も間接的には被告青年館の支配下・指揮下にあるといえるから、民法七一五条にいう「被用者」にあたるものというべきである。

(5) したがって、被告ニッセイ及び被告青年館は、民法七一五条の責任を負う。

(二) 被告青年館及び被告ニッセイの主張

(1) 本件事故は原告の過失によって発生したものである。すなわち、本件コンサートに関しては、原告を含む出演者全員に対して舞台のどの位置にセリがあっていつセリが下りるのか等についての十分な説明がなされ、数回に及ぶリハーサルも事前の説明・打ち合せに従ってとどこおりなく行われており、原告もリハーサルにおいては右説明・打ち合せに従って行動しており、原告もその内容は十分に理解していたのである。しかし、原告は、本件コンサートの本番で出演者が所定の位置につき、正に演奏を始めようとしたときになって所定の位置を離れてコーラを取りにいき、これを飲みながら舞台上を小走りに元の位置に戻ろうとして、そのときにセリ穴から奈落に転落したものである。本件事故の原因及び責任はすべて原告自身にある。

(2) 勝沢は、株式会社パシフィックアートセンターの従業員であって、被告ニッセイ及び被告青年館との間で出向関係や給料の支払関係はない。したがって、仮に勝沢に本件事故について過失があるとしても、被告青年館及び被告ニッセイが使用者として責任を負うことはない。

4  被告ニッセイ及び被告青年館の工作物責任の成否

(一) 原告の主張

(1) 本件コンサート会場である日本青年館大ホールは、被告青年館が所有占有し、被告ニッセイが占有・管理しているものである。

(2) 原告が落下したセリ穴は、舞台中央部にあり、奈落から舞台までの高さは4.9メートルあるから、出演者が舞台上にいるときに下降させると、人が墜落する高度の蓋然性がある。したがって、人が落下した場合に奈落まで落ちないような設備をすべきであるのに、右セリにはそのような安全設備は設置されていなかった。これは舞台構造上の明らかな瑕疵であり、そのために本件事故が発生したものである。

したがって、被告青年館、同ニッセイは民法七一七条に基づき、原告の損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告青年館、被告ニッセイの主張

本件セリには防護ネットという安全設備が装置されており、その設置または保存に瑕疵はない。

5  原告の損害額

(一) 原告の主張(ドル表示については一ドル一三一円で換算)

(1) 治療費 五二二万四六一七円

春山外科病院 三六四万一六八〇円

マサチューセッツ総合病院

一五八万二九三七円

(一万二〇八三ドル四九セント)

(2) 入院雑費

一六万三二〇〇円(一日一二〇〇円)

(3) 休業損害 七二〇万五〇〇〇円

休業期間 昭和六三年一一月二〇日から平成二年九月一九日までの二二か月間

三三歳男子平均賃金月額三二万七五〇〇円を基準とする。

(4) 入院慰謝料 三二五万円

(5) 後遺障害による逸失利益

一八三三万三九五一円

後遺障害第一〇級(下肢の三大関節中一関節に著しい障害)

労働能力喪失率 一〇〇分の二七

就労可能年数 三一年

ライプニッツ係数 15.5926

三六歳平均給与月額三六万二九〇〇円を基準とする。

(6) 後遺症慰謝料 四六〇万円

(7) 弁護士費用

四〇〇万円(請求額の一割)

以上、合計四二七七万六七六八円

6  脅迫の有無

(一) 原告の主張

(1) 被告湊と、被告ビクター両社の従業員であるカール・ワカモトは、原告が春山外科病院に入院直後より、再三再四原告に対し、治療費の他に三〇〇〇ドル支払うから、何ら法的手段に訴えないという示談書に署名するよう求め、原告がこれを拒否すると、病室においてぬんちゃくを振り回したり、ナイフを突きつける等の脅迫を繰り返した。

原告は度重なる脅迫に生命の危険を覚え、平成元年四月二日、病院にも無断で逃げ出して帰国した。

(2) 被告湊及びカール・ワカモトの不法行為による原告の精神的苦痛を慰謝するには二〇〇万円が相当である。

(3) 被告湊は、右脅迫による不法行為責任を負い、被告クリエイションは同人の使用者として、被告ビクター両社はカール・ワカモトの使用者として、それぞれ民法七一五条の責任を負う。

(二) 被告クリエイション及び被告湊の主張

被告湊が原告を脅迫したことはない。

(三) 被告ビクター両社の主張

カール・ワカモトは、その当時被告ビクター両社の従業員ではなかったし、原告を脅迫したこともない。

第三  判断

一  本案前の争点(不起訴合意の有無)について

1  証拠(乙一の1、2、原告本人)によれば、原告は、春山外科医院に入院中の平成元年二月二日、被告日本クリエイション側の要請に基づき、同被告及び被告湊に対し、本件事故について法的手続をしないという内容の文書を作成してこれに署名したが、この文書中には「将来、条件を付け加えるものとします」との記載も含まれていることが認められる。また、証拠(甲七の1、2、原告本人)によれば、原告は、原告が被告クリエイションまたは被告湊に対し今後いかなる損害賠償も請求しないという内容の覚書の案を被告クリエイション側の者から示され、これに署名することを求められたが、これを拒否したことが認められる。

2  右事実に原告本人尋問の結果を併せて考えると、原告は、平成元年二月二日にいったん本件事故についての法的手続をしない旨の書面を作成したものの、なお入院中のことでもあり、被告クリエイション側のじ後の支払次第では将来本件事故による損害賠償の請求権を行使する可能性があることを留保したものと推認される。

そうとすると、被告クリエイション及び被告湊の主張する不起訴合意については、これを認めることができず、この両被告の本案前の主張は理由がない。

二  争点1(被告クリエイション、被告湊、被告ビクター両社及び被告TBSの安全配慮義務違反の成否)について

1  証拠(甲二の1、2、八の1、2、九の1、2、一〇の1、2、一一の1、2、一二の1ないし4、一三の1、2、一五の1、2、一八、乙五、六の1、2、戊一の3、4、二の1ないし6、三、四の1、2、五、六、証人勝沢一美、同千葉隆寿郎、同長野義則、原告本人、被告クリエイション代表者)及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一) 本件コンサートの運営状況

(1) 被告クリエイションは、ヒロコのデビューに向けたプロモーション活動のため必要なバックバンドのメンバーを米国の演奏家の中から確保しようと企画し、クリス・ベネットを通じ、原告らの演奏家に対し被告クリエイションのプロデューサーとして同被告の代理人の地位にある被告湊の署名のある出演契約書を送った。原告に対しては、昭和六三年一〇月二二日ころにこれが届いた。この出演契約の内容は、ヒロコのプロモーション活動のため、日本でのテレビショーに出演し、かつ、予定されたリハーサルや公演であって被告湊がリクエストするものに出演することであった。原告は、そのころ、この契約書に署名して、ヒロコのプロモーション活動を行おうとする被告クリエイションとの間で、右の出演契約を締結した。

(2) 被告クリエイションは、コンサートの開催経験がなかったので、昭和六三年一〇月下旬ころ、ビーエムシーとの間で、ビーエムシーが本件コンサートの制作、企画、演出等を請け負う旨の契約を締結した。ビーエムシーは、テレビ番組の制作・企画・イベントの制作・企画をする会社で、社員は約一〇〇名おり、東京音楽祭や日本レコード大賞などの音楽番組の一括責任者になるなど、いわゆる制作会社の中では大手の会社であった。ビーエムシーは、右の請負契約に基づき、ビーエムシーの制作課の主任であり、東京音楽祭や日本レコード大賞の舞台監督を三、四回務め、美空ひばりや北島三郎のコンサートなどでも舞台監督を務めた実績を有する千葉を本件コンサートの舞台監督に充て、千葉が本件コンサートの制作演出の業務を担当することになった。

そのため、本件コンサートの制作、演出は、台本作成、リハーサルから本番上演まですべて千葉の指揮の下に行われ、被告クリエイション側は、最終リハーサルに立ち合う程度であった。本件コンサートの後、被告クリエイションは、ビーエムシーに対し本件コンサートの制作、企画、演出等の費用、報酬として総額五〇八万円を支払った。

(3) 本件コンサートの会場の確保については、本件コンサートの制作、企画、演出等を請け負ったビーエムシーが、被告クリエイションの代表者及び被告湊を被告TBSの関係者に紹介し、これらの者の間で交渉した結果、昭和六三年一〇月下旬ころ、被告TBSが被告ニッセイとの間の継続的契約により年間一定日数その使用権を確保している日本青年館大ホールを被告クリエイションが本件コンサートの会場として使用するのを承諾した。また、被告TBSは、右の承諾と同時に、被告クリエイションが興業上、被告TBSを本件コンサートの主催者として表示することを許諾した。

(二) リハーサルの状況

(1) 原告ら六名のバックバンドのメンバーは、前記のような出演契約による義務を履行するべく、米国でリハーサルを行った後来日し、来日翌日の昭和六三年一一月四日には、ビーエムシーの事務所で本件コンサートの舞台で楽器を置く位置をどこにするかなど本件コンサートについての最初の打ち合せを行った。

そして、本件コンサート当日の二週間ほど前から麻布のツヅキスタジオで千葉が監督として参加するリハーサルが行われ、原告らバックバンドのメンバーもこれに参加した。ツヅキスタジオでのリハーサルでは、スタジオの床にテープを貼って実際の舞台のどこに何があるかわかるようにしてあったが、このリハーサルでは、音合せとダンスシーンの練習が主な目的であった。原告ら米国の演奏者と日本人スタッフとの間の通訳は、日本ビクターの社員であると名乗っていたウエダカズノリやカール・ワカモトが行っていた。

(2) 本件コンサートの一週間ほど前に、本件コンサートの構成等や舞台の美術セットの配置が決まった。このころには、本件コンサートのオープニングでは、舞台上の照明を暗くして、ヒロコがセリから上がってくることも決まったので、ツヅキスタジオでのリハーサルで、ヒロコがセリの部分でポーズをとって、セリが舞台に上がる時期を見計らって、踊り始めるというリハーサルも行った。

本件コンサートの台本は、手書きのものはできていたが、印刷が終わったのは、本件コンサートの二、三日前のことであった。この台本では、オープニング直前にバックバンドのメンバーがその定位置につく際本件セリが下降しているのか、逆にその定位置についた後に本件セリが下降するのかの前後関係が明確には記載されていなかった。

(3) 本件コンサートの当日である昭和六三年一一月二〇日、日本青年館大ホールでオープニングから最後まで通しのリハーサルが行われ、被告湊は、このリハーサルに出席して、ヒロコとともに、原告ら米国人のバックバンドのメンバーと千葉等の日本人スタッフとの間の通訳をしていた。

このリハーサルでは、ヒロコが本件セリから上がってくるオープニング部分のリハーサルも行われ、セリ操作担当者の勝沢は、舞台左袖付近にある操作盤の前から移動して舞台をみて、原告らバックバンドのメンバーがそれぞれ舞台上の定位置にいることを確認してセリを下降させた。そして、千葉は、舞台上の定位置にいた原告らバックバンドのメンバーを本件セリの周りに集めて、オープニングでヒロコが本件セリにのって上がってくると日本語で説明した。その後、実際にヒロコが本件セリから上がってきて演奏を進めるリハーサルを行った。このオープニングのリハーサルが行われる前ころに、トム・サビアーノが本件セリが下降していることに気付かず、セリ穴に近付いたので、原告がトム・サビアーノに注意したこともあった。

(三) 本件セリの操作について

本件セリは、前記の位置の操作盤で操作するが、操作盤にはモニターが三台あって、本件コンサートの当日は、左下のモニターは、奈落の底を映しており、右上のモニターのうち一台は大ホールロビー正面玄関を、もう一台は客席から舞台を映していた。そして、出演者が舞台の定位置につけば、客席から舞台を映していたモニターで出演者の様子がわかるようになっていた。

(四) 本件事故の発生状況

当日午後七時ころ、予定時刻より遅れていた本件コンサートの開演が迫り、被告湊が地下の楽屋に来て、原告らバックバンドのメンバーに舞台の左袖に来るよう伝えたので、原告は、コーラの缶を二缶持って、他のメンバーとともに舞台の左袖に上がり、オープニングを直前にした待機の姿勢に入り、トランシーバーを持った係員の指示で、バックバンドのメンバーらは、舞台に出た。

勝沢は、千葉の指示によって本件セリを下ろす操作をしたが、勝沢がいた操作盤付近からは袖幕や楽器にさえぎられて舞台が見通せなかったので、勝沢は、原告らバックバンドのメンバーが既に舞台上の定位置についているのかどうか確認しないまま本件セリ下降の操作を行った。

原告以外のバックバンドのメンバーはほとんど同時に舞台に出たが、このとき既に舞台では本件セリは下りていた。原告は、他のメンバーが舞台に向かうのとは逆に、そのころまでに飲み終わったコーラ缶一缶を舞台左端奥の壁の傍に放置するためその壁の方にかけ寄る行動をしてから、踵を返して舞台に向かい、右手にもう一本のコーラ缶を持ち左手を観客に振りながら舞台上を進みながら舞台の中央部で本件セリ穴から奈落に落ちた。原告が落下したのは本件セリが下降し切っていない段階のことであったため、舞台床面では、安全ネットは、まだ伸張されていなかった。

このとき、舞台は、照明は落とされていたが、人影、楽器が見えるほどの明るさがあり、足下が見えない暗さではなかった。

2  被告湊の原告に対する安全配慮義務違反の有無

原告は、被告クリエイションの実質的経営者である被告湊が署名した出演契約書により原告と同被告とが出演契約を締結したかのように主張するが、被告クリエイション代表者本人の供述によると、被告湊は、被告クリエイションのプロデューサーとして同被告の代理人の地位で出演契約書を作成し、これを原告に送ったと認められるところ、原告自身も、ヒロコのプロモーションのための出演を申し込まれている契約であるという認識であったことが原告本人尋問の結果から認められ、これによれば、原告が右の出演の契約がヒロコが所属するプロダクションとの契約であると認識していたとも推認することができるのであって、これらのことからすると、本件出演契約は、前記認定のとおり、原告と被告クリエイションとの間で成立したと解するのが相当である。

そうとすると、被告湊は、個人として原告との間でその出演契約を締結したとは認められず、したがって、同被告には、原告との間の出演契約に付随する原告に対する安全配慮義務があるとはいえない。

3  被告クリエイションの原告に対する安全配慮義務違反の有無

(一) 前記認定のとおり、被告クリエイションは、原告との間で出演契約を締結し、かつ、原告の出演を得て本件コンサートを開催しているのであるから、原告の本件コンサートへの出演の際における演奏活動に関連してその演奏活動に起因する原告の身体等への危険が生じないように配慮すべき義務があるといい得る。

(二)  ところで、本件事故は、後記三認定のような原因によって生じたものというべきところ、このような事故の発生を防止するためには、本件コンサートを演出する上で、出演者がその出演動作をして舞台中央部付近に近付く場面があり、かつ、その際には本件セリの操作が行われてこれが下降しておりその安全ネットが伸張されていない状況であるとするならば、当該出演者に対し、あらかじめ、その近づく場面では本件セリの穴がそのように開いていることを十分知らせる措置をとることが必要不可欠であると認められる。本件では、前記認定のとおり、原告は、本件当日の本番前のリハーサルにおいて、本件セリの穴が開いている状況を現認しており、その穴の存在及び位置については、その時点で既に認識していたと認められる。そして、これらによれば、本件事故の発生という結果に具体的に現れた危険は、本件セリの設置・構造そのものから生じたものではなく、舞台上の出演者の動作と本件セリの操作との組み合わせに直接起因するとともに、出演者側の自らの動作と右操作との前後関係についての認識の欠如に根ざしたものというべきである。

このような危険に対処するべく、あらかじめ出演者に対し、前述のように、本件セリの穴の開いていることを知らせる措置をとることは、既に右に詳細に見たように本件コンサートの制作演出の業務そのもの又はこれと不可分に付随する業務といわなければならない。

(三)  そして、前記認定のとおり、本件コンサートの制作演出は、すべてビーエムシーが被告クリエイションから請け負ってこれを決定しており、実際にもその業務は、担当者千葉の指揮の下に具体的に処理遂行されていたものである。こうした被告クリエイションとビーエムシー又は千葉との関係は、コンサート等の音楽イベントの制作演出の専門性に鑑みると決して特異なものとはいえないのみならず、原告らバックバンドのメンバーは、前記認定のとおり、ツヅキスタジオにおけるリハーサルのころ以降、千葉がビーエムシーに所属する舞台監督として本件コンサートの制作演出の準備を進める状況や被告クリエイションが千葉のその準備に異を唱えたり注文をつけたりしていない状況を目前にしているのであるから、原告に対し原告がオープニングの直前に原告の演奏位置に行くため舞台中央に近づくときには本件セリの穴が開いていることをあらかじめ知らせる措置をとることは、ビーエムシー及び千葉のなすべき業務に含まれるというべきである。

そしてまた、前記認定によれば、千葉において右の措置をとることができない事情があったとはいえず、かつ、千葉が右の措置をとることにより本件事故の発生を防止することができたことも明らかである。他面において、ビーエムシー及び千葉のみならずこれらの者に本件コンサートの制作演出を発注した被告クリエイションまでが右の措置をとるまでの配慮義務があったことを認めるべき証拠はない。

そうすると、被告クリエイションには、本件事故を生ぜしめた危険に関する原告の身体等の安全に配慮すべき義務の違反があったとは認められない。

4  被告ビクター両社の原告に対する安全配慮義務違反の有無

原告は、被告ビクター両社がCD・ビデオ収録・販売のための本件コンサートの基本構成等を担当することを通じて被告クリエイション等と本件コンサートを共同企画したものであるから、被告ビクター両社も原告との出演契約上の義務を負う旨の主張をするが、既に前記3で見たとおり、原告との出演契約を締結した被告クリエイションについてすら原告に対する安全配慮義務違反があったとは認められないのであり、このことと前記1、(一)の認定事実によれば、被告ビクター両社について原告に対する安全配慮義務違反の有無を問題にする余地はないというべきである。

なお、被告クリエイション代表者本人尋問の結果によれば、昭和六三年四月、被告ビクターエンタテインメントと被告クリエイションとの間に、被告ビクターエンタテインメントが被告クリエイションが作成したレコード原盤を一定期間借りて複製して販売できるという内容の原盤使用許諾契約が成立したが、被告ビクターエンタテインメントとヒロコとの間には歌手専属契約はなく、被告ビクター両社は、いずれも本件コンサートのビデオを販売する予定はなく、本件コンサートも撮影しなかったことが認められ、右事実からすると、被告ビクター両社が本件コンサートの共同企画者であるということもできない。

5  被告TBSの安全配慮義務違反の有無

原告は、被告TBSが本件コンサートの会場として日本青年館大ホールの使用契約を被告青年館と締結することを通じて被告クリエイション等と本件コンサートを共同企画したものであるから、被告TBSも原告との出演契約上の義務を負う旨の主張をするが、既に前記3で見たとおり、原告との出演契約を締結した被告クリエイションについてすら原告に対する安全配慮義務があったとは認められないのであり、このことと前記1、(一)、(3)の認定事実とによれば、被告TBSについて原告に対する安全配慮義務違反の有無を問題にする余地はないものというべきである。

なお、被告クリエイション代表者本人尋問の結果によれば、被告クリエイションと被告TBSとの間で本件コンサートのスポット広告をテレビで放映することは合意されたが、被告TBSは、本件コンサートの制作、企画又は演出には関与したことがなく、本件コンサート当日に会場をカメラ撮影することもなく、ただ本件コンサート終了後、ビーエムシーを通して被告クリエイションから会場使用料の支払を受けたにとどまり、その他の金銭の請求をしていないことが認められ、右事実からすると、被告TBSが本件コンサートの共同企画者であるということもできない(ちなみに、原告は、被告TBSが本件コンサートの名義主催者として利益を得ている点からも共同企画者である旨主張するが、被告TBSが前記認定のとおり被告クリエイションに対し興業上本件コンサートの主催者として被告TBSを表示することの許諾をしたものの、被告TBSが本件コンサートの興業上の収益から前記会場使用料以外に何らかの金銭的利益を得ていたことを認めるに足りる証拠はなく、この点に関する原告の主張も採用できない。)。

6  以上のとおり、被告クリエイション、被告湊、被告ビクター両社及び被告TBSの原告に対する安全配慮義務違反の主張は、いずれも理由がない。

三  争点2(被告クリエイション、被告湊、被告ビクター両社及び被告TBSの使用者責任の成否)について

1  千葉の不法行為について

(一) 前記二、1、(四)の認定のとおり、原告は、本件コンサートのオープニングとしてヒロコが本件セリにのって舞台上に登場するため本件セリが下降し始め、まだ奈落の床面に達する前の時点で舞台左袖から舞台後方右側の原告の演奏位置に行くため舞台中央を横切ろうとして本件セリの穴から転落したものであるところ、原告は、左手を観客に振りながら舞台上を進んでおり、幾分その足元に対する注意が十分ではなかったともいえるが、前記二、1、(二)、(3)で認定したとおり、原告は、本番前のリハーサルにおいて、本件セリの穴が開いているのを目前にし、かつ、本件コンサートのオープニングでヒロコの登場のため本件セリが下降することを聞いていたのであるから、原告が右のように本件セリの穴に落下したのは、原告が舞台中央を横切るときに既に本件セリが下降していることを予期していなかったことによるものといわなければならない。

(二)  ところで、舞台上を出演者らが移動する場面がある場合に本件セリを下降させる舞台構成を予定するときは、本件セリの穴の深さ、舞台上の照明の程度に基づき、舞台監督としては、その出演者らに対しその移動の際に本件セリの穴が開いていることを十分知らせる措置をとった上でその出演者らをして安全に移動させるよう演出をするべきことは、当然の義務と解される。

(三) ところが、本件の場合、前記認定のとおり、そもそも本件セリの下降の操作が原告らバックバンドのメンバーがそれぞれその演奏位置についた後に始められるのか、それとも本件セリの下降が始まりその穴が開いてからバックバンドのメンバーが舞台左袖からその演奏位置に移動するのかの前後関係が千葉が完成させた台本においても明記されていなかった。そして、舞台監督の千葉は、前記認定のとおり、本件コンサートの本番前のリハーサルでは、本番どおりに通しで練習をさせるとしながら、バックバンドのメンバーがその演奏位置にいるところで本件セリを操作してヒロコをセリから舞台上に登場させる運びで練習させたものの、証人尋問においては、千葉は、「メンバーをスタンバイさせてセリを落とす危険性とセリと落としておいて人間をスタンバイさせる危険性は同じくらいだと思い……、完全にセリを落としておけば注意がいくという判断でセリを最初に落としました」、「(セリが下がり切ったことを確認してメンバーを出すのではなく)セリが下りている時、メンバーを出します。ほぼ同時です」などと供述する一方、「(勝沢さんはバンドメンバーが定位置についてからセリを下げたと言っています。そうではないのですか。の問いに対し、そう)だったと思います」とも供述し、本番では、既に認定したとおり、右の前者の供述どおりの演出をしたことが認められるのである。これらを要すれば、千葉は、本件セリの下降の開始とバックバンドのメンバーの定位置への移動との前後関係をいかにするかについてほとんどその意を用いず、したがって、バックバンドのメンバーが舞台上を移動する際に本件セリの穴が開いていることをそのメンバーにあらかじめ知らせることの重要性を何ら認識しないまま、本番の舞台監督を行ったものと推認されるのである(この点において、本件コンサートのオープニングは、まさしくぶっつけ本番を迎えたといい得る。)。

具体的には、千葉が、勝沢に本件セリを下げるよう指示したのは原告らバックバンドのメンバーを舞台上に出す指示をする前であり、かつ、原告らバックバンドのメンバーを舞台上に出す指示をしたのは本件セリの穴が開いており、まだ安全ネットが伸張する前であったのであり、これらの事実からすると、右の舞台に出す指示をする際にも、本番までのリハーサルの際にも、原告らバックバンドのメンバーに対し本件セリの穴の右のような状況を何ら知らせる措置をとらないまま右の舞台に出す指示をした千葉の演出については、本件事故発生の原因たるべき前記(二)の義務違反があったものといわざるを得ない。

(四) 以上(一)から(三)までの判断に関し、証人勝沢は、本件コンサートはリハーサルどおり行われたものであり、したがって、バックバンドのメンバーが位置についてから本件セリを下降させた旨の供述をするものの、勝沢自身も認めるとおり、勝沢は本件コンサートにおいて原告らバックバンドのメンバーの動きを確認することなく、千葉の指示のままセリ操作を行ったと認められることに照らすと、証人勝沢の右供述部分は信用できない。

また、証人千葉は、「リハーサルの際にバックバンドのメンバーには舞台の下手から全員一緒になって出て来るんだよと説明させ……その時、セリが落ちていると説明している」旨の供述をしているが、同証人の前記(三)のような供述ぶりと前記認定の本件事故の発生状況等を考え合わせると、証人千葉の右の供述部分は信用できない。

なお、被告クリエイション及び被告湊は、原告がいったん舞台の定位置についてから、コーラを取りにいくため舞台左袖に戻り、再び元の位置に戻ろうとして本件セリの穴に転落したと主張し、証人千葉の供述中には、千葉が本件事故の発生前にベースギター奏者がその定位置についたのを確認した旨のこの主張に副う供述部分がある。しかし、証人長野義則は、最初に誰もいない舞台上に複数の人が左袖から出てきて、それから一人の人が観客に向かって左手を振りながら同じように左袖の方から出てきて舞台中央付近で突然落ちたのを見た旨証言しており、同証人の立場、目撃位置等に鑑み、同証言の信用性は極めて高いと認められるところ、この証言によれば、証人千葉の前記供述部分は到底信用できず、かつ、原告が被告クリエイション及び被告湊が主張するような行動をとったとは認められないから、被告クリエイション及び被告湊の前記主張は採用できない。

2  被告クリエイション及び被告湊の使用者責任の成否

前記二、1、(一)、(2)のとおり、被告クリエイション又は被告湊と千葉との間には雇用関係がなく、かつ実質的に見て本件コンサートの制作演出について千葉を監督できる立場にあったと認めるに足りる証拠はないから、被告クリエイション及び被告湊は、千葉の使用者であるとは認められない。

3  被告ビクター両社及び被告TBSの使用者責任の成否

前記二、1、(一)、(2)のとおり、被告ビクター両社又は被告TBSと千葉との間にも雇用関係がなく、かつ、前記二、4又は5に認定したとおり、被告ビクター両社も被告TBSも本件コンサートの共同企画者であるとも認められないので、被告ビクター両社又は被告TBSを千葉の使用者と認定するいささかの余地もないというべきである。

4  以上のとおりであるから、被告クリエイション、被告湊、被告ビクター両社及び被告TBSに使用者責任があるとの原告の主張は、いずれも理由がない。

四  争点3(被告ニッセイ及び被告青年館の使用者責任の成否)について

1  原告は、勝沢には、本件セリの操作者として本件セリの使用方法等が原告ら出演者に伝えられているか否かを確認すべきであったのにこれを怠り、また、舞台上の安全を確認してセリ操作を行うべきであったのにこれを怠り、千葉とセリ操作の時期についての認識に齟齬があるままに、千葉の指示によって漫然とセリ操作を行った過失があると主張する。

しかし、既に見たとおり、本件コンサートのオープニングにおいてどのような順序で本件セリの下降開始と原告ら演奏者の定位置到着とを演出するか、そのための必要な注意を出演者らにどのように与えるかについては、舞台監督が舞台全般の演出効果、出演者の安全等をも考えて決定し適切に指揮するべきところであり、本件セリの操作者である勝沢には、原告ら出演者に本件セリの下降の時期が正確に伝えられているか否かを確認したり、本件セリの穴が開いている時にこれに近づく出演者がいるかどうかを確認したりする注意義務があるとまでは到底認められない。

2 もっとも、セリ操作の担当者が、セリの近辺に出演者らがいて操作中にセリの穴に落下する危険性があると認められるのに、舞台監督がこれについて適切な演出をしないと疑うべき特別の事情がある場合には、セリ操作の担当者といえどもセリ操作を中止する等の措置をとるべき注意義務があると考えられる。

しかし、前記二、1、(四)のとおり、本件コンサートでは舞台の左袖には袖幕が張られており勝沢がいた左袖付近の操作盤の位置からは舞台が見通せない状況にあった上、証人勝沢の証言によれば、勝沢は、舞台監督の千葉の指示に従い本件セリを下降させる操作を開始したのであり、結果的には、そのときには舞台上には出演者が誰もいなかったのであるから、勝沢が本件セリの操作を中止する等の措置をとるべき場合が生じていたとは認められない。

3  以上によれば、勝沢には本件セリの操作についての過失は認められず、原告の被告ニッセイ及び被告青年館に対する使用者責任の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

五  争点4(工作物責任の成否)について

原告は、本件セリは、舞台中央部にあり、舞台床面から奈落までの深さは4.9メートルあるから、出演者が舞台上にいるときに下降させると人が墜落する高度の蓋然性があるため、人が落下した場合に奈落まで落ちないような設備をするべきであるのに、右セリにはそのような安全設備は設置されていなかったのであり、これは舞台構造上の明らかな瑕疵で、そのために本件事故が発生した旨主張する。

なるほど、既に認定したとおり、本件セリは、舞台中央部にあり、舞台床面から奈落の床面までの深さが4.9メートルで、二八秒で下がり、セリが下がり切ってから一二秒かかって、安全ネットが自動的に伸張されるという構造になっており、観念的には、セリが下がり初めてから安全ネットの伸張完了までの約四〇秒間はセリの穴から転落する可能性が生ずることを否定できない。

しかしながら、セリの穴が開く舞台上は、上演中であれその他の機会であれ、誰でもがそこに自由に登場し得る場所ではなく、限られた範囲の人が、限られた目的でのみ、そこに登場することがゆるされる場所であるから、このような人々がそのセリの穴が開いていることを十分知らされ、その穴に転落することを避ける措置がとられるならば相当の時間そのセリの穴が開いたままの状況が存在しても、必ずしもこれを危険視する必要がないものと考えられる。

すなわち、セリの装置として当該セリが下降中に穴が開く間の相当の時間にわたり安全ネットの伸張がないものであっても、直ちにその装置がセリとして本来備えているべき性質や設備を欠く瑕疵があるものとはいえないのである。

そして、本件全証拠によっても、本件セリが下降中にそのセリ穴が開く前記の約四〇秒間が長過ぎて本件セリがセリとして本来備えるべき転落防止の設備を欠く瑕疵があるものとは認めることができない。

そうすると、原告の前記主張は理由がない。

六  以上のとおり、本件事故についての被告らの責任は、いずれも認められないから、本件事故による原告の損害を含むその余の点について判断するまでもなく、右の責任を前提とする原告の請求は、いずれも理由がない。

七  争点6(脅迫の有無)について

原告は、春山外科病院での入院中、夜一一時ころ面会に来た被告湊及びカール・ワカモトからぬんちゃくで示談するように脅迫を受けた旨主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに副う供述部分がある。

しかし、証拠(甲一六の1、2及び被告クリエイション代表者本人)によれば、原告が入院していたのは、六台のベッドのあるいわゆる大部屋であって、ベッドとベッドの間には衝立もなく、丸椅子が入る程度のスペースがあるだけであったこと、病院の面会時間は夜八時までであったこと、原告は、本件事故直後は自分の過失により被告クリエイションや被告湊に迷惑をかけたと言っており、原告の方で被告クリエイションが原告に損害賠償をしないという内容の文書まで用意していたことが認められ、これらの事実を考慮すると、原告の前記供述部分は、被告湊及びカール・ワカモトが原告に恐怖心を生じさせるに足りる害悪の告知をしたことの証拠としては信用することができず、他に原告が被告湊及びカール・ワカモトから脅迫を受けたことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告湊及びカール・ワカモトによる脅迫があったとする原告の主張は、理由がない。

八  結論

以上によれば、原告の請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雛形要松 裁判官永野圧彦 裁判官真鍋美穂子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例